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カンボジアの悲惨な歴史 独裁者による国民大虐殺

投稿日:2017年8月23日 更新日:

 

みなさんはカンボジアでの大虐殺の歴史をご存じですか?僕もカンボジアを訪れるまでは知りませんでした。

 

1970年代に起こったこの虐殺で正確な人数はわかっていませんが、200万人もの人が犠牲になったと言われています。これは当時のカンボジアの人口の4分の1にあたるそうです。

 

ではなぜそのような悲惨なできごとが起こってしまったのか?

 

その背景を簡単に説明していきます。

 

ポル・ポト政権の誕生

1975年 ポル・ポト政権が誕生しました。このポル・ポト、世界史上最悪の独裁者ランキングTOP10に入る程のとんでもないやつです。

 

ポル・ポトを語る上で知っておくべきことがあります。それはポル・ポトの危険な思想です。

 

原始共産主義

ポル・ポトは留学先のパリで共産主義の思想に感化されます。このことが後のカンボジアの悲惨な歴史につながっているのです。

 

毛沢東の思想に強く影響を受けた彼の思想は原始共産主義と呼ばれ、共産主義の中で最も過激な思想だったのです。

 

 原始共産主義とは

 「階層や格差の全くない原始時代の状態に戻そうとする思想」 

 

狩猟・採集を行って生活をしていた原始時代に階層や階級は存在せず、平等でした。その原始時代の社会を理想とし、その理想の社会実現を目指して統治を行っていました。

 

ポル・ポトの政治

ではポル・ポトはどのような政治を行ったのでしょうか?

 

1.人々を強制的に食料生産に従事させる

ポル・ポトは都市部(プノンペン)の人々を強制的に農村部に移住させます。アメリカ軍からの空爆があるからなどと理由をつけたそうです。

 

反対する者は容赦なく殺されてしまいました。

 

急に農業をしろと言われてどうすればいいかわかりますか?

知識もないのにやれと言われてもできるはずがありません。

 

その結果、カンボジアは深刻な食料不足に陥りました。

 

そうした中でも人々は農作業に従事したため、栄養失調、餓死、過労などにより多くの死者が出てしまいます。

 

さらにポル・ポトは農作業に従事させるために通貨、人々の持つ財産を廃止し、宗教や恋愛までも禁止しました。

 

財産を奪われ、心の拠り所となるはずの宗教や恋愛までも禁止される…..

 

当時のカンボジアの人は身体的にはもちろん精神的にも辛かったことは容易に想像できます。

 

 

2. 知識層の根絶

ポル・ポトは「国を指導する我々以外の知識人は不要」とし知識層の虐殺を行いました。

 

どうして知識層は不要と考えたのでしょうか?

 

それは自身の政治に異議を唱える可能性がある者を排除したかったからです。

 

ポル・ポトは原始共産主義のもと自分の理想の社会の実現を目指しました。

 

しかし、ポル・ポト本人も原始共産主義社会の欠陥に気づいていたのでしょう。その欠陥に気づく可能性のある者を虐殺という安易で非人道的なやり方で排除したのです。

 

まずは医師や教師、技術者などの知識層を優遇するという触れこみで自己申告させました。国の発展のために名乗り出た者は二度と帰ってくることはありませんでした。

 

徐々に知識層が虐殺されているということが悟られると自己申告する者など現れません。

 

そこでポル・ポトは知識層と思われる人をとりあえず 虐殺することにしたのです。

 

知識層と判断されたのは

 

・医師、学者、芸術家など知識が必要とされる職業の者

・外国語ができる者

・本を読もうとした者(文字を読むことができる者)

・メガネをかけた者

 

さらに密告制度を導入し、ポル・ポト政権に反対する者・反対する可能性がある者を徹底的に排除したのです。

 

ポル・ポトの言葉に

  「間違って知識層を生かしておくぐらいなら罪のない人を殺してしまう方が良い」

というものがあります。

 

ポル・ポトは人の命を軽く考え、自分の理想のためになら人を殺しても構わないというとんでもない殺人鬼だったのです。

 

 

3. 子どもの積極的登用

ポル・ポトは子どもに社会的役割を与えました。

 

その理由は純粋である子どもは余計な知識を持っておらず、原始共産主義の思想を素直に理解することができるからです。

 

つまり、洗脳しやすくポル・ポトの思い通りに動いてくれる子どもは扱いやすいからです。

 

兵士は13歳以下の子どもが採用されました。それだけでなく重要な仕事に子どもが着きました。

 

もちろん医者も子どもです。医者は知識層として殺されてしまったのだからそうするしかないのです。知識のない子ども医師が治療を行ったことが原因となり死亡する人も大量に発生しました。

 

この政策をポル・ポトが推進した証拠が当時の人口構成です。人口の85%を14歳以下の子どもが占めているという異常なものでした。

 

ポル・ポト政権の崩壊

4年ほど続いたポル・ポト政権も終焉を迎えます。1987年にベトナム軍がカンボジアへの進行を開始したのです。

 

食料不足により困窮し、少年兵ばかりのカンボジア軍にベトナム軍を撃退する体力があるはずがありません。

 

2週間ほどで兵力の半数を失いました。

 

しかし、このような状況下でありながらポル・ポトは虐殺を続けたのです。恐ろしいというか異常としか言いようがありません。

 

ベトナム軍の侵略によりポル・ポトは政権を追われ、異常な独裁政治が終わりました。

 

当時のポル・ポト政権は外交をほとんど行っていなかったためカンボジアの実情は外国にはほとんど知られていませんでした。

 

その後この悲惨な状況が世界中に知れ渡ることとなったのです。

 

まとめ

このような信じられないことがカンボジアで40年ほど前に実際に起こっていたのです。

 

ポル・ポトの恐ろしいところは他の独裁者のように権力や名声がほしくて虐殺を繰り返したのではなく、純粋に自分の理想とする社会を実現するため、自分の信念のもとに虐殺を行ったということです。

 

ポル・ポト政権による影響は現在も残っています。カンボジアは最貧国と言われ、周辺諸国に比べて成長が遅れています。

 

今でこそ高成長国となっていますが、実際に訪問してまだまだ貧しい国だという印象を受けました。

 

ポル・ポトによる政治がなければカンボジアは今以上の早さで成長していたことでしょう。

 

そして実際に起ってしまった悲惨なことを風化させることなく後世に伝えていくべきです。二度とこのような悲惨な歴史を繰り返さないようにしなければなりません。

 

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執筆者:ユウジ


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